鯖街道をバイクでいく

「よしバイク乗ろう」

昨年10月にコロナで1年程延長されていた還暦の同窓会が開催されて、久しぶりに岩手の中学の同級生達と会いました。

そこで色々な話をしたのですが、それぞれ還暦を迎えて人生も終盤に差し掛かり老後に向けてこれからどう生きていくかという話題が結構出ました。仕事は自分のできる範囲で続けていくのですが、それ以外に自分自身が今までにやり残した事は無いかを良く考えるようになりした。

ふと昔の事を思い出すと税理士を目指す前の20歳代前半は、バイクで峠を攻めに行ったりトライアル競技をしたり青春時代はバイクに夢中になっていた事を思い出しました。

これはもう体力的にも乗るなら今しかない、それも乗るなら大型バイクという事で大型自動二輪免許を取得するために昨年11月から自動車教習所に通い始めて、若い頃に普通自動二輪を取得する時は苦手でもなんでもなかった一本橋に苦戦しつつもなんとか年末までに大型自動二輪免許を取得する事が出来ました。

もうこうなると止まりません、どうせ買うなら自分にとって今一番欲しいバイクという事で以前から憧れがあったスズキの隼を注文してしまいました(^^;)

約40年ぶりにバイクに乗る61歳の大型バイク初心者のおっさんが、排気量1339cc、重量264キロ、最高出力188馬力、最高速300キロ、ゼロヨン10秒のモンスターバイクにちゃんと乗れるのか少し不安でしたが、意外と乗りやすいという話もありましたので思い切って隼オーナーになる事にしました。

そして今年の1月に隼が納車されました。想像以上のかっこよさです。

 

こうなると今この時期に広報委員をしている京税協ニュースの「京のみち」の執筆の順番が回ってきたのも隼でツーリングに行けという事だと勝手に判断して、ここはツーリングコースとしても有名な鯖街道を走る事にしました。

一般的には鯖街道といえば若狭街道が有名ですが、西近江路と呼ばれる琵琶湖沿いのルートや西の鯖街道と呼ばれるルートなどその他にも複数存在しています。

古来より若狭湾で取れた鯖が行商人によって京都に運ばれました。当時若狭湾は鯖が大量に水揚げされその生鯖を塩で締めて運ぶのですが、京都までは2~3日かかり着く頃には程よい塩加減となり「若狭もの」と重宝されていたようです。その歴史は遡れば1500年程にもなるようです。

 

そこで今回は若狭街道で小浜市にある鯖街道ミュージアムに向かう事にしました。

鯖街道の終点である出町には石碑が立っています。出町をスタートして大原から朽木を抜けて小浜を目指します。

 

やっぱり鯖街道という事で朽木にある栃生梅竹(とちううめたけ)さんで鯖寿司を買って食べる事にしました。このお店は流行っているらしく沢山の人が買いにきていました。鯖寿司を食べたので再度小浜を目指します。

 

小浜市に行く途中に熊川宿という昔の宿場町があります。江戸時代には関所もあり鯖街道の中継地点として大変賑わっていたようです。現在は隣接して道の駅も出来ており観光地となっています。

 

その後熊川宿を出発して順調に進んで小浜市に到着しました。

小浜市の鯖街道ミュージアムに見学に行きます。入り口には鯖街道の起点としてプレートが埋め込まれています。

 

鯖街道ミュージアムはこぢんまりとした施設ですが中のガイドの方に鯖街道の歴史を色々と聞かせていただきました。

若狭街道は道も今ではきちんと整備されており快適に小浜市に到着することが出来ました。昔も荷車等を使った大量の物流があったのは若狭街道のようです。

鯖街道ミュージアムのガイドの方のお勧めもあり、帰りは針畑峠~久多~鞍馬を行く事にしました。

このルートは「針畑越え」と呼ばれていて鯖街道としては最古で最短との事で京都まで約76キロの距離があります。しかしこれが快適な若狭街道と違いとんでもないルートでした。

とりあえず舗装はされていますが離合も出来ない細く曲がりくねった路面状態の良くない坂道を登り続けて根来坂と言われる場所に来ました。

 

根来坂のあたりで上から降りてきたライダーに声を掛けられたのですが、針畑越えの一番高い場所にある標高820メートルのおにゅう峠がなんと積雪で通行止めとの事でした。この日は3月31日で非常に暖かい日だったので予想外でした。

仕方がないのでまた一旦小浜まで引き返し、再度若狭街道を戻り朽木から久多に行く事にしました。

久多に入ると鯖街道のモニュメントがありました。

 

その後は花脊峠を越えて鞍馬を通り無事出町に到着しました。まあこれもご存じの方も多いと思いますが花脊峠を抜けていく道も結構荒れた大変な道です。久多以降は鯖街道と表示されるものは無くなり、鯖街道というより鞍馬街道と一般的に呼ばれる事が多いようです。

この針畑越えは峠を三か所通りますし現代の常識からすると人が荷物を背負って通るような道じゃないです。鯖街道ミュージアムのガイドの方によると同じ人が小浜から京都まで運ぶのではなく、途中に住んでいる仲買人が次々とリレーしながら運んだようです。とりあえずバイクの中でもヘビー級の重量がある隼で走る道ではないです笑笑

鯖街道というのは京都の人にとっては大変なじみのある道なのですが、今回ツーリングで往復したことにより人力や牛馬で運搬していた当時の人達の大変さが理解できたとともに、海が遠い京都の人にとっては数少ない海産物という事で昔から食べられてきた鯖の歴史を感じることが出来ました。

 

今年の夏は昔からバイク好きで仲のいい中学の同級生と北海道ツーリングに行く事になり、これからも隼でいろいろなところへツーリングに行こうと思っています。

 

(注)この記事は京税協ニュース184号に記載されたものを加筆修正したものです。